新聞はどうして売れなくなったかをキャズム理論で説くとすぐわかる

2014年7月9日

LINEがPCからのログインに認証番号を入れないとだめになり、乗っ取りはもうできないのかと思った矢先、昨晩知人のアカウントが乗っ取られてしまいました。まさかと思っていたのでふざけているのかと思い、「出した相手を間違ってるんじゃないの」と返信したあと電話がきて「乗っ取られた」と・・。「天安門」とおまじないを打ってみましたが、読まないで行ってしまいました。www

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ということは中国人犯罪者たちは、PCからではなくて他のスマホからログインしている。他のスマホ端末にアカウントごと移動されてしまっているわけで、これでパスワード変えられたら二度とログインできない? これはもう、2段階認証とか根本的な対処を採らないと意味をなさないのでは無いかと・・・。ネットの進化は欲に目のくらんだ犯罪者によって大きく阻害されてるよね。LINEとしては短期間にアカウントの移動を繰り返す行為を制限して欲しいです。コレは簡単でしょ。

さて、先日、某新聞社の方とお話する機会がありまして、そのときに出た話と連携して電通さんがこんなリリースを・・

1

新聞の落ち込み、半端ない!!

一年に15%落ちたら、複利計算で10年後にはいまの20%の扱いしかないことになる。この閉塞に向かう速度感が半端ない。ラジオも落ちてるがこれはまあマーケットも小さいし、しょうがないとします。ところが新聞社とか雑誌社の上の人は「新聞とか紙の本を読まないなんて、馬鹿が増えた社会が悪い」とか思ってるらしく、根本的な対策を打たない。なんか政治家見てるようです。

ではどうして新聞が読まれなくなったのか。
これをひと言で説明出来るのが、先日予想に反して回った「現代のキャズム理論」です。ネット自体の今、マーケティングに限らず情報伝達にもこの説明がそのまんま当てはまるようになったわけだ。永江理論では

ふ

という感じで、日本ではアーリーアダプターがせいぜい10万人。アーリーマジョリティが最大150万人程度で残りはレイトマジョリティであると経験値より推測しているというのは↑のエントリーでも書いた。んで、日本人の大半はレイトマジョリティです。

アーリーアダプター  自分から積極的に情報を取りに行く
アーリーマジョリティ たまに情報を取りに行くことはある
レイトマジョリティ  向こうから勝手に来る情報を受け取るだけ

と、簡単に書くとこうなる。

この間リクルートの同窓会に行ったけど、会う人、会う人に「いまなにやってんの」と言われた。リクルートといえばそこそこいい大学出た人たちが多いわけですが、おじさんになるともう完全にレイトマジョリティ。スーパーコンピュータとか光回線事業の同窓会だったので当時は先端の部門の理系出身者ばかり。しかしパーティには300〜400人いて私が何しているかブログ見てて知ってるというのはたったの3人のみでした。リクルートOBでもそんなもんです。
前に「どこ歩いていても声なんて全くかけられない」と書いたら「わかっていても声かけないだけ」という人がいましたが、絶対そんなことはありません。みんな断固として知らないと思います。ネット選挙が実際の選挙結果に全く反映されないのもアーリーマジョリティとレイトマジョリティの間のキャズムのせいなのだ。けしからん

新聞はどうして売れなくなったのか


やっと本題です。

新聞とテレビは、その立ち位置が全く異なります。新聞は意識して「契約して購読」しないと手元に届かないのにたいし、テレビは付けておくと勝手に流れます。そういう意味では、かつてネットの無い時代は


新聞  = アーリーアダプターのメディア
テレビ = レイトマジョリティまで浸透するメディア

だったわけです。立ち位置が全く違う。新聞は「好きな時間に自分の意思で読める」のにたいし、テレビは勝手に流れてくるものを見るか(ザッピング)、番組が流れる時間まで待つかしかない。つまり新聞は能動的なメディアであり、テレビは受動的なわけさ。

新聞を取っていたアーリーアダプターは誰だったかというと、一家で言うなら社会に出て働いているお父さんでした。お父さんが新聞を読み、トイレに持ち込み、場合によっては通勤電車に持って行ってしまう。奥さんや子供はたいていは新聞はスルー。たまに思春期に入った息子が読みはじめて左に偏ったり、理屈こねてこまっしゃくれたりしたわけですな(俺だ)。ここでは

お父さんと家族の間にキャズムが存在していた

わけであります。都会に限らず田舎でも、社会に出ているお父さんは自分からある程度の情報を集めに行かないと孤立してしまう。経済についても多少は知ったかぶりが必要だし、天気予報も見るし、巨人が勝ったか負けたかという会社の話題にもついていけないから読んでいたわけ。テレビは経済ニュースが少ないから新聞は必須だった。

ところが90年代後半にはいってインターネットが一般化してくると、社会に出ているアーリーアダプターのお父さんたちが真っ先にネットに転向した。新聞は持ち運ばないといけないし、複数紙とって読み比べるのも大変。はたまた掲載まで時間がかかりすぎるけどネットなら即時報道される。アーリーアダプターが新聞からネットに情報ソースを変更したのは当たり前なのです。巨人戦の結果だって携帯から見てすぐわかるし。

新聞はかくしてアーリーアダプターの手から離れてしまった。それから20年です。一家の中のアーリーアダプターが新聞というメディアから離れてしまうと、キャズムがあるのでほかの家族は新聞を見たいとも思わないし、元から自分では情報を取りにいくという姿勢では無いので必要も感じない。基本的に「受け取るだけでOK」なので、必要を感じない。リタイヤした「昔のお父さん、いまはお爺ちゃん」が読むだけのメディアになったわけです。老人が死んでいけば新聞の命も尽きていきます。

ところがテレビはそうでもない。確かにアーリーアダプターはテレビなんて見なくなったが、「情報は受け取るだけ」と思ってるレイトマジョリティの皆さんにとってはテレビは必須なのです。なにせスイッチがはいっていれば勝手に流れるから、興味があるものだけ見れば良い。テレビ局もわかっていて、いまでは番組は完全にレイトマジョリティ向けの、毒にも薬にもならないものばかりになってる。

結論から言うと、新聞はこのままでは死に絶えると思います。自分としては生き残るための画期的なアイデアがある(マジだよ)のだが、それは経営陣の皆さんがキャズム理論を理解しないと絶対に実現しないので、確率はけっこう低いですわ。

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