日本再生は、制服と丸坊主の禁止からはじめよう

2012年1月7日

昨年末であるが、「Facebookページでいいね一回について50円を被災地に寄付プロジェクト」というのをひっそり始めてみました。実はタイトルには「こわごわテストでやってみる」と書いたのだが、別に怖がることも無く、約1週間でお一人当たり50円で合計159名様のいいね獲得。7950円を日本赤十字に寄付。みなさま、いいね、ありがとうございます。これからも「儲かってるFacebookに広告費用払うくらいなら被災地に寄付」で行きますので是非。毎月末に精算します。続いてくれるFacebookページ募集中〜。

ちゃんと寄付した証拠です

さて、昨年末であるが、非常に興味深いデータが出てきた。江見さんがFacebookに投稿していた「人の好みにクチコミは効かない」──ハーヴァード大学チームの研究結果よりという記事である。

ハーヴァードの研究チームによると、Facebook上のやりとりを追跡(1,600人の学生を対象として、彼らのFacebook上での活動を4年間にわたって追跡。さらに最終的には、4年間全体を通じて友人関係や好みに関するデータが取得できた200人の学生の例を選びだし、そのデータを分析)したところ、

「SNSで人の好みがほかの人にうつる可能性は極めて小さい」

という結果になったそうな。ただし音楽の好みは別らしい

この調査では、Facebookでは「好みが似ているから友達になった」というケースの方が多く、他人の影響で自分の好みが変わったということはほとんどなかったという。だとすると最近流行っている「ソーシャルマーケティング、SNSをつかって口コミを広げてファンを構築していきましょう」的な仕事はトンデモなインチキということになる。食べログヤラセ会社は全社詐欺師だ(別の意味でそうだけど)。

しかし、待てよ。口コミと言ってもアマゾンやApple storeのapp評価のようなものはアメリカにもあって当然利用度は高い。が、これは「好み」ではなくて「機能」を評価しているわけだから別物なんだろう。上記の「口コミでうつらないもの」は、あくまでも「好み」に限定されている。そうなると音楽やファッションというような主に流行ものの商品やサービスに限定されるわけだ。

これ、日本人とは相当に違いがある気が (-_-)

長々と前段を書いたが、本日は「なんでアメリカと日本はこんなに国民性が違うの?」ってことです。間違いなく日本人はクチコミによって好みを左右されると思います。

なぜ日本人は非常に他人の目を気にし、流行に付いていこうとするのか

そもそも「流行語大賞」なんてものがあってマスコミでばんばん報道されるのは日本だけじゃないの? アメリカのは「もっとも検索されたワード」みたいなもので趣旨が全然違う。「流行」にたいする依存度は、日本では欧米よりずっと高い。
流行に敏感なのは代理店やマスコミ関係など仕事でネタが必要な人種を別にすれば、ギャルとか地方出身の若者に多いでしょう。「流行のファッション」をめちゃくちゃ気にするのも若い女性やにーちゃん中心である。ヤフオクでお兄系のジャンルを見れば、そこかしこに「キムタク使用」とか「松潤使用」とかのキャッチばかりが目に付く。ギャル系なら「梨花も使ってます」が定番です・・・。自分の好みがなく、他人の評価を優先する結果です。

そもそもの根源は幼少期から思春期の教育にあるのではないか。

もともと農耕民族だから。団体行動が得意だから、とかいろいろ理由はあると思う。が、中・高校生の多感な時期に制服、丸坊主を強要されているような人たちにその傾向が強いのではないか。たとえば野球選手。新幹線でプロ野球の選手の団体に会うと、ヤクザの集団かと思うくらいだ。判で押したようにイタリア製のスーツにブランドもののバッグ。サングラス。手には数珠みたいなアクセ。彼らは高校時代、おしゃれもへったくれも無く強制的に丸刈りにされ、プロになってお金が入ってもどんな格好をしていいか分からず先輩のマネをしている。
初来日したアメリカの友人(アニメ好き)は日本の地方都市で丸刈りでだっさい緑のスエットの上下に黄色いヘルメットの中学生がたくさん並んでチャリ漕いで通学しているのを見て、「もし自分が日本の田舎に生まれていて、あの格好をさせられていたらと思うと考えるだけでぞっとする」と笑っていた。こういう学校がスティーブ・ジョブズのような独創的な天才が生み出すのはめちゃくちゃハードルが高いのではないか。

そもそも日本に制服や丸刈りが導入されたのは明治時代の富国強兵の時。国の意向に従って将棋の駒となって頑張って働いてもらうには自我などない方が良く、個性を伸ばすということより、測色に甘んじて格好なんて気にするのは恥。一丸となって突撃が奨励されたわけである。しかしいまはどうなんだ?

日本の将来を考えるに、メーカーの工場はどんどん海外に出て行くから国内は空洞化する。国内の単純労働の需要は減り続ける。歯車的な感じで自己を殺して全体のために突き進む的な人材はどんどん不要になっていく。これから必要なのは、個性や独自性であり、画一的な労働力ではアジアの新興国に太刀打ちできない。ひとりの天才が数万人の食い扶持を稼ぎ出す時代なのである。となると、多感な年齢期にがちがちに型にはめてしまうような発展途上的教育は、将来的な国益を損ねてしまうと思う。

周囲を見ても、アーチストや独創性、芸術性の高い職業に就いている人たちは、自由闊達な校風の学校を卒業しているという明確な傾向値がある。今後の日本の行く方向は、オリジナル性や独自技術、つまりソフトを強化していくしかないということを考えると、まずは制服や丸坊主あたりから廃止していくというのが必須だと、自分はずっと思ってきたんですが、みなさんはどうでしょう。

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