放射能なんかより、いまこそ次の地震と津波に備えよう

2011年3月31日

えっと、みなさんがまだよく分かってないことがあると思います。
とりあえず大学で建築学びました私から解説。

放射能汚染とか、全く気にしないで良いです。海は空気中と違い、希釈されてめちゃくちゃ薄まりますし、沿岸流に乗って南下した後、今度は黒潮に 乗ってどんどん東に流れていくからです。
これが本日の潮流

ソ連が放射能バリバリの廃炉を日本海や北極海にわかったてるだけで10数基捨て、さらに原子炉が爆発して沈没した原潜がどっさりあるのに海ではそれが原因の放射能がほとんど検出されないくらいです。
それに原子炉から一番出ている放射性ヨウ素は半減期が短く、さらに幼児が波乗りして海水ガブガブ飲むのでなければ我々は100トンくらい海水飲んでも、甲状腺ガンにはなりません。甲状腺は成長期に活発に活動してヨウ素を材料にホルモン作っているわけですが、成長期過ぎたら止まってます。チェルノブ イリでさえ、大人に甲状腺ガンは出てません。ちなみにチェルノブイリではセシウムによる健康被害は1件も報告されてないそうです。ドイツ南部やイタリアに も相当に放射能が降りましたが、健康被害にいたったケースはないそうです。人間って意外と丈夫。

しかし、もっと怖いものがあります。
それは誘発される地震による津波です。

東海沖地震は、かなり前から2年以内に来る確率60%と言われています。
東海沖が怖いのは、連動して南海沖大地震がくる確率も80%だから。東海沖地震は日本が始まってからずっと、周期があって、150年くらいの間隔できっちりきているのです
1707 → 1854 147年
1854 → 2011 すでに157年経過

しかし、三陸沖と東海沖が連動したことは、調べてみたけどほとんど無さそうです。プレートが違うからだと思います。

原発は、実は震度6くらいでも耐えます
今回も建物はほとんどなんでもない。
津波がヤバイのです

過去の日本の地震でも、大火となった関東大震災を除いて、建物倒壊より津波の被害のほうがずっと大きい。

いまから300年前・・・ 以下Wikiより

• 1703年12月31日 元禄地震(元禄関東地震)
– M 8.1、死者5,200人(20万人とも)。関東南部に津波。
• 1707年10月28日 宝永地震(東海・南海・東南海連動型地震) – M 8.4〜8.7、死者2,800〜2万人以上、倒潰・流出家屋6万〜8万軒。関東から九州までの太平洋岸に津波、伊豆・伊勢・紀伊・阿波・土佐などで大きな被害。地震から49日後に富士山の宝永大噴火。道後温泉の湧出が数ヶ月間止まる。

いまから150年前・・・
• 1854年 7月9日 安政伊賀地震(伊賀・伊勢・大和地震) – M 7.6、死者約1,800人。
12月23日 安政東海地震(東海・東南海地震) – M 8.4、死者2,000〜3,000人。房総半島から四国に津波、特に伊豆から熊野にかけて大きな被害。ロシア船ディアナ号沈没。
12月24日 安政南海地震 – M 8.4、死者1,000〜3,000人。紀伊・土佐などで津波により大きな被害(串本で最大波高11m)。大坂湾に注ぐいくつかの川が逆流。道後温泉の湧出が数ヶ月間止まる。
安政東海・南海地震は32時間の時間差で発生した。両地震による死者の合計は約3万人との説もある。余震とみられる地震は9年間で3,000回近く。
12月26日 豊予海峡で地震 – M7.4。東海・南海と併せ、4日間で3つの巨大地震が発生。

この300年前、150年前の地震は、関東とは連動していませんが、実は関東大震災の時もかなり大きな津波が来ました。

いまから87年前・・・

1923年(大正12年)9月1日 関東大震災 震源地は三浦半島 M7.9
死者・行方不明者 : 14万2800人
負傷者 : 10万3733人
避難人数 : 190万人以上
と、今回の比ではないくらいの凄い被災です。人口がいまより少ないのにこの被害・・津波の発生による被害は太平洋沿岸の相模湾沿岸部と房総半島沿 岸部で発生し、高さ10m以上の津波が記録された。山崩れや崖崩れ、それに伴なう土石流による家屋の流失・埋没の被害は神奈川県の山間部から西部下流域に かけて発生した。特に神奈川県根府川村(現、小田原市の一部)の根府川駅ではその時ちょうど通りかかっていた列車が駅舎・ホームもろとも土石流により海中 に転落し、100人以上の死者を出し、更にその後に発生した別の土石流で村の大半が埋没、数百名の犠牲者を出した。鎌倉から湘南も津波で大被害でした。

このときも実はどたばたでよく分かってないのですが、4ヶ月後の1924年1月15日 に、かなり大きな丹沢地震 M 7.3が発生して死者19人出しています。

そして意外と知られていないのが、こちらです
いまから66年前・・・

1944年12月7日 東南海地震 – 三重県沖、M 7.9、死者・行方不明者1,223人、伊豆から紀伊にかけて津波。
1945年 1月13日 三河地震 – M 6.8、死者・行方不明者2,306人、津波あり。
1946年12月21日 南海地震 – 和歌山県沖〜四国沖、M 8.0、死者・行方不明者1,443人、房総から九州にかけて津波。

この地震と津波は、太平洋戦争(〜1945年8月15日)のまっただ中だったため、敵国に日本が弱体化することを知られるのを恐れ、報道管制が敷かれました。つまり国の秘密とされたわけです。
しかしこのときの津波と地震で日本軍の戦闘機を作っていた中京地区の工場が壊滅的な被害で、終戦が早まったのはよく知られています。

地震後の津波では震源域に近い尾鷲市を中心に熊野灘沿岸一帯に壊滅的な被害をもたらした。最大波高は、尾鷲市賀田地区で記録された 9 m 。第一波が襲った後、家へ荷物などを取りに戻り、第二波に巻き込まれ、亡くなった例もあった。津波被害は米軍により空中撮影された。(Wikiより)

こんな感じで、実は太平洋側はいままで津波の被害がさんざんあったわけです。しかし関東大震災の時は東京が火の海になり、そればかりがクローズアップされ、1944年の時は戦時中で秘密とされ、誰も知りません。

今回の地震のあと、富士山の活動が活発化していることが報告されていますし、東北震災のあとの最大級の地震の震源地は富士山の火口でした。

いまこそ、津波の恐ろしさとその高い被災確率を再認識し、海の近くにお住まいの方は、再度、避難場所を確認しておくことです。 津波は三陸地方だけのものじゃない。関東から九州までの問題です。

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